植原健司のブログ

福岡で活動するピアニスト、植原健司の日々の出来事や音楽、趣味のコト

6月定期公演のチラシが出来上がりました。

6月定期公演のチラシが出来上がりました。

6月3日 (土)
ニューコンボ:福岡市中央区渡辺通5丁目1−22 電話 092-712-7809
19:00開場 20:00開演
当日 3500円 / 前売り 3000円
お問い合わせ 090-4475-5241(植原)

皆様、お誘い合わせの上、ぜひお越しください。

 

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明けましておめでとうございまする(遅!

今年こそは制作に力を入れるぞ!
のはず…だったのですが、
年末から久しぶりに(20年ぶり位じゃ無いかな)ゲームにはまり、廃と化していました。(^_^;

正月の間、あまりにも何もしてなかったので、取りあえず音楽の事は何かしておこうと、去年の定期ライブ2日目の1stステージを上げてみました。

去年11月のLiveは、私のレパートリーには大変珍しく全曲Standardで、かなりレアなLiveとなりました。

是非聞いてみて下さい。


植原健司ピアノトリオ定期ライブ_2016年11月06日Live_1stステージ

昔書いた、上海万博リポート

生徒と飲んでる時に、以前、上海万博に演奏仕事に行った時のブログ記事を読みたいというので再び載せてみます。

波乱の上海万博、一日目。
20101008

上海万博第一日目、添乗員のオネイサンのおかげで何事も無く入国。
いつもながら、入国審査の時の係員はキョワイです。
わたしは何もしてませんよ!ねっ!ねっ!ねっ!等と説明したくなります。
現地ガイドさんと空港で合流。
細面の優男風なガイドさんでなんとなく頼りなさそうである。(不安 ><
(本当は凄腕ガイドさんで、大活躍だったのですが)
空港から万博会場まではバス移動。リニアモーター列車の乗り場を横目に見ながらバスは行く。(ううう、あっちに乗りたかったよう;;)
バスの中で5000円を元に両替してもらい、夕食の注文を取られる(弁当の予約らしい)。至れり尽くせりである。
実にスムーズな進行である。

万博会場への入場は、空港並みのセキュリティである。
万博会場に着き、楽器をおろして入場ゲートに行くのだけれども、これが遠い!
徒歩での移動なのだが、会場がとんでもなく広いので、移動距離が長いのである。
荷物を背負ってうつむいて歩いていると、山登り気分である。
ようやく入場ゲートにたどり着いてみると、ものものしい雰囲気である。
ここは入国審査かっ。(--怒)
荷物をX線検査機に通し、金属探知ゲートをくぐり、係員に金属探知機で調べられ、ようやく入場。
入場ゲートから日本館までが、また長い。
ひ~ひ~言いながらようやくたどり着いたときは、もはや演奏気力ゼロ。宴会気力100である。
楽器を搬入して、ひと息つく間もあらば、夕食に連れだされる。

そして.............
また徒歩移動である。遠い...............。
やっと辿り着くと、現地料理の店で、予約席となっていた。
よしよし、いい感じである。
さあ、さっきバスで注文した焼肉弁当が来るのである。ビールも飲むのである。むひっむひっむひっ。
ん?なにやら添乗員さんとガイドさんと店員がひきつった顔をして相談しているぞ??んん?
なに!バスの中でのメニューとこの店のメニューがぜんぜん違うとな!!!
バンドメンバーの額にいイラッと印(☓)が出始める。(--怒)
もはや待てん!メンバーのひとりが勝手に注文し始め、店員と言い争いを始め、店員同士でも言い争いを始め、そこへ添乗員とガイドさんが加わり、来た注文の品は間違っており、再び店員と言い争いを始め、店員同士でも言い争いを始め、そこへ添乗員とガイドさんが加わり、現場は混沌と化していった。
どうなる晩飯!!!
どうやら、いろいろ沈静化して飯も来てビールも飲んで無事食事は終わったのですが、まだセッティングもリハーサルもしとらんではないかっ。いいのかっ!
しかもまた歩いて会場まで戻らねばならんのである。

波乱の晩飯のあと、足がヘロヘロしながら会場にたどり着き、セッティング、リハーサル。
もはや演奏気力マイナスになりながらも第一曲目、オラーっとピアノソロイントロ四小節、他のメンバーが入って......こない????
なぬ、キーが違うとな!
なんでだ!!!
ワケの分からぬままトランスポーズボタンでキーを合わせる。
電圧の関係だかどうだかわからないのだが、シンセピアノのチューニングがトランスポーズ0でBbになっていた。
(Bb楽器になっていたのである。)なんなんだこれは?????
まあ、楽器のチューニングを一音上げて(トランスポーズ+2ですな)リハーサルは無事終了。
ぐったりと疲れて、すぐ帰れるのかと思いきや、他の出演者やスタッフと集団行動とのことで、待つこと約1時間 (--怒)

やっとのことで全て終了、再び長距離行軍(´A`。)の後、ホテル到着。
コンビニを探し出し(近くにあるらしいとのかみさんの情報で)ビール2本買ってもどる途中、ホテルのロビーで中国人メンバーと鉢合わせ。”中国語しゃべれないのにどうやって買ったの”と大笑いされコンビニの場所を教えて部屋に帰る。

部屋でビールを飲んで第一日目終了である。
やれやれ。

 

波乱の上海万博、二日目。
20101008

眠い!眠いぞ!!
ということで朝飯を食いそびれたまま、バスで会場入り。

もはや全員諦め(あきらめ)の境地で魂を頭上に流離わせ(さすらわせ)ながら半眼となり歩く。歩く。
バンドマンの適応力の高さを物語っているではないか。
しかも日本人メンバーの内の女性二人は和服である。(後にこれがまた波乱を呼ぶのだが。)
タイシタモンダ。

1ステージ目は無事に終わり(結構うけてました。)、昼食は、昨日の失敗を踏まえて、すぐ近くの日本食レストランでの豪華昼食で、何事も無く、実にスムーズで平穏な始まりであった。
が、
いかんせん、一日5ステージである。
昼食を終えて、安心したとたん先が長いことに皆気がついてしまった。
いかん。モチベーションが持たん!
メンバーの演奏気力がいきなりゼロになってしまった。
夢も希望もなくなってしまっているではないかっ。
しかぁし、
さすが皆さん、背骨が筋金(すじがね)で出来ているプロフェッショナルである。
2ステージ3ステージと、完璧な演奏で場を盛り上げまくった。

そして、ちょいと長い休憩時間。危険である。こういう時こそ危険なのである。

さて、皆で比較的空いているパビリオンを見学しに行こうという事になったのであります。波乱にのみ勘のいい私(わたくし)はこの時点で波乱の予兆を感じておりました。
ちょうど日本館を出てすぐのパビリオンが空いて(すいて)いるというので皆で行列となり入っていったのです。
この時点で、団体行動という単語が辞書にないバンドマンたちの奇跡の行動と言わざるを得ないのですが、入った途端、やはりというべきか必然というべきか、皆いきなりバラバラとなってしまったのです。
そうして途中で、和服二人組とスレ違いました。

あろうことか、二人は写真攻めの人だかりで、アイドルが会場を歩いているが如き状態となっていました。
一瞬、ジャーマネ(マネージャー)と化し、場を取り仕切る情景が頭に浮かんだのですが、こういう時は君子危うきに近寄らずです。
君子な私(わたくし)は、人だかりでくるくる廻っている和服二人組を見捨ててパビリオンを出たのであります。
後で聞いたら、他のメンバーも見捨てて出てきたのだそうです。流石(さすが)、君子の集団です。
さて、パビリオンを出ても、時間は余りまくっています。
君子な私(わたくし)は、次の演奏のモチベーションを高めるべくアルコール売り場を探して当て所なく歩きまわりました。
そうして、ほどなく会場内に酒コンビニ(ローソンでした)を見つけ出し(またコンビニかよ)、缶酎ハイとつまみを手際よく入手したのでありました。
やはり君子には天が味方するのでしょう。

適量のお酒でモチベーションを上げた私(わたくし)と、それぞれにモチベーションを上げてきたメンバーとで4ステージ、5ステージをガンガン演奏し、終了。
またも半眼となりながらホテルへ帰り、用意されていた宴会をやった後で次なる波乱が待ち構えていたのでした。

宴会だけでは呑み足りなかったメンバーの一人は、もう一軒飲みに行くぞ、と言い張りました。(断じて私ではありません。)
彼の人(かのひと)は胸を張って私に任せろと言います。
危険です。こういう時こそ危険なのです。波乱にのみ勘のいい私(わたくし)はこの時点で又も波乱の予兆を感じておりました。
さて、次なる現場、ホテル最上階のバーに行きました。
そして.........人数が多すぎて座れなかった。(┳Д┳)泣
しかも、スタッフのエライ人を一人誘っていて、その人はまだ到着していません。
ところが、行動の素早いバンドマンたちはお構いなしに次なる会場へ。
結局誘ったエライ人を置き去りにして街へさまよい出たのでした。いいのかっ!
しかし、彼の人(かのひと)は胸を張って私に任せろと言います。(またかっ)

さて、彼の人(かのひと)は地図を見ながらさっさと歩いてきます。もう歩くのに慣れっこになっている我々は、全く歩くことが苦にならず、軽々と歩いておりました。さすが適応力の高いバンドマンたちです。君子の集団です。
ところが、行けども行けども飲み屋はありません。まるで山頭火です。
仕方なく、さっき通り過ぎたカラオケ屋に、引き返して入ることしたようです。
彼の人(かのひと)は、ここでも胸を張って私に任せろと言います。

しかしながら、私は見ていたのです。観察していたのです。
根が臆病で小動物の如き(ごとき)観察眼を持った私(わたくし)であります。
先程通り過ぎようとしていた時、風采怪しい少年二人組が玄関に腰掛けて待っておりました。そこへ、風采怪しいオヤジが呼びかけ、少年たちはいそいそと入って行きました。
根が臆病で小動物の如き(ごとき)観察眼を持った私(わたくし)であります。
怪しい少年が待ってまで入る店は危険に決まっています。
そこで、他のメンバーが入ってしまったにもかかわらず、小動物のごとき私(わたくし)は、皆の静止を振り切り、追いかけてきた怪しいオヤジの静止も振り切り、とっととホテルに帰り、またもやコンビニで酒を買い、帰ってしまったのでした。(またコンビニかよ。いい加減にしろよ。)
翌日、話を聞いてみたら、やはり怪しい店だったようで、注文もせず、皆でさっさと店を出てしまったそうです。
そうして、皆でホテルのバーに戻り、飲んだのはいいが、すぐオーダーストップだったそうです。

やはり君子危うきに近寄らずは正解だったようです。
君子には天が味方するのでしょう。おやすみなさい。

急転直下の第3日に続く.....

 

波乱の上海万博、三日目。
20101009

爽やかな目覚めでした。
今日は演奏もありません。
波乱も昨日で出尽くしました。
なんと爽やかな目覚めだったのでしょう。

朝飯も食(しょく)しました。バイキングだったのですが、それぞれの料理に蓋(ふた)がかぶせてあり、種類が多すぎて、めぼしいものを見つけられず、サラダと鶏ハムとコーヒーで済ませてしまいましたが、爽やかな朝でした。蓋取っとけや!料理が何かわからんやろうがっ (--怒)
いやいやいや、誰がなんと言おうと爽やかな朝だったのですっ。

朝食の後、集合しました。
皆さんも最早(もはや)浮かれています。いきなり宴会気力100です。
バスの中では、現地ガイドさんが注意事項を並べ立てています。しかし、最早(もはや)宴会気力100となったバンドマンには一向効き目はありません。宴会気力100のバンドマンは無敵だからです。
しかし、この無敵状態が後に波乱を呼ぶとは誰に予想ができましょう。
波乱にのみ感のいい私(わたくし)も流石(さすが)に無敵状態に目をくらまされ、波乱を感ずることは出来なかったのでした。

まずは順調な滑り出しだったのです。
いつもそうなのですが、滑り出しは順調なのです。
上海の浅草とも言われる商店街に連れていかれました。
ガイドさんと添乗員さんはしきりに心配して、まるでボディガードのようです。
心配いりません。無敵なのですから。

当然、何事も無く商店街を堪能いたしました。
たまに、料理の強烈な臭いで頭に衝撃を受けましたが、そんなものはすぐに回復してしまいます。宴会気力100なのですから。
ものすごい人波で、東京のラッシュ時に人をかき分けて歩いているような状態でしたが、私(わたくし)は無敵状態で、しかも、掏摸(すり)に注意しなさいというガイドさんの忠告をありがたく聞き入れて、腰を落とし、空手のすり足のように歩き、組み手のように体捌き(たいさばき)をしていましたから、人ごみの中でも人とぶつかるはずもなく、ひらひらと歩いておりました。

次に、ナントカいうネカチモ(金持ち)が立てた巨大自宅に行きました。中の庭が実に大したものだったのです。もちろんここでも無敵ひらひら歩きで何事も無く堪能いたしました。
しかしながら、ガイドさんと添乗員さんはここで自由行動をするのを躊躇い(ためらい)ました。
慧眼(けいがん)という他はありません。
無敵バンドマンが固まって行動するはずがないからです。
そうして、もう一箇所とってもいい場所があるので移動して、そこで自由行動としましょうと云うことに成りました。
この、賢明な判断が結果的に波乱を呼ぶと、誰に予想できたでありましょう。
まあ、無敵バンドマンから見れば、”安全策をとると失敗に繋がる” という教訓を体現したものになっていたに過ぎませんが。

さて、彼の(かの)場所にはバスで移動しました。
バスが停車したところは丁度JAZZのライブハウスの前でした。
思わず ”見つけたでぇ~” と口走ってしまい、ハッと周りを見回すと他のメンバーがニヤニヤと笑っていました。よく分かっている人たちです。
バスの中で、ストリートでモノを売る人が集まってきますから、断固とした口調でNoと言いましょう、と注意を受けました。
無敵バンドマンがストリート売り子ごときに隙を見せるはずはありませんが、その注意が刷り込まれてしまったためでしょう、無敵気力が100を超えてしまったと思われます。
そして波乱は起きました。

バスを降り、次の現場へ徒歩で向かいます。
しばらくすると、やはりストリート売り子が三々五々声をかけてきました。
しかし、なぜか、私には声をかけてきません。
顔が怖いわけではなかったと思います。多分無敵ひらひら歩きのせいだったのでしょう。
また、他のメンバーもストリート売り子に ”社長さん社長さん” 等と逆に声をかけてそれなりに和やかに歩んでいました。

そして、一人の売り子が彼の人(かのひと)(前回とは違い、女子ですが)に声をかけてしまったのです。
当然、無敵バンドマンは断固としてNo!と言い放ちました。
するとあろうことか、その売り子さんが彼の人(かのひと 女子)の肩をひっぱたいたのです。
ただの観光客なら早々に退散したでしょう。
しかし、我々は無敵バンドマンです。
そこで引き下がるわけがありません。

それはもう、ものすごい論争でありました。しかも彼の人(かのひと 女子)は中国人であったため、当然中国語はペラペラなわけです。
彼の人(かのひと 女子)は滔々(とうとう)と意見を述べておりました。
相手は必死に応戦しています。しかも相手は二人になっています。
見かねてもう一人のバンドマン戦士が加わりました。(彼の人(かのひと 女子)の友人女子です。)
女子二人というのはそれだけでも無敵です。その上無敵バンドマンです。誰もかなう筈はありません。
事態は混迷の度合いを深めていきました。当然女子二人は引き下がるわけはありません。街全体を相手にしても引き下がらなかったでしょう。
ガイドさんと添乗員さんはあまりのことに為す術もありません。
この事態を打開したのはなんと昨日の彼の人(昨日の かのひと 男子)でありました。
彼の人(昨日の かのひと 男子)の大人な態度は実に見事でありました。
事態を収集し、自らは怒りを抑えつつ、次の現場へ向かったのです。
どうやって相手を言いくるめたのかは分かりませんが、事態は収集してしまいました。いやはや、バンドマンはトラブルに強い。

おかげで無敵状態は解かれ、少しエネルギーダウンして次の街についたときは、かなりいい感じに(つまりいい感じにおとなしく)なっていました。この街にとっても、良かったでしょう。

次の街は、芸術村といった趣(おもむき)の、大好きな感じの街でした。
そこは迷路のように入り組んでいてフォトスタジオやペイントスタジオ、各国の料理が食べられるレストランやカフェ、バーが小じんまりと立ち並び、ヨーロッパの裏町のような佇まいでした。
さっきの騒動のせいか、迷路のような構造のせいか、ここでも自由行動をためらっていたようですが、バンドマンの辞書に集団行動という単語はありません。
さっきの事で、バンドマン御し難し(ぎょしがたし)との事を重々承知したと云う事もあるのでしょう。添乗員さんもガイドさんも、あきらめ顔で自由行動しましょうということに相成りました。

実に和やかにこの街を探索いたしました。
フォトスタジオでは、実際に撮影が行われていたり、また、別の場所では素晴らしい写真がいくつも飾られていました。
ペイントスタジオでは、小指で巧みに水墨画を描くオネイサンがいたりして、全く飽きません。
また、この街には外国人が多く、ヨーロピアンの白人や黒人が数多く散策していました。
それらの人たちがカフェやレストランで寛いでいて、ずいぶんと居心地のいい感じでした。
街は迷路のようでしたが、私(わたくし)は昔のコンピュータロールプレイングゲームの達人でしたので、迷路攻略は得意中の得意です。
全く、何が役に立つか分かりませんなぁ。
ひとしきり散策した後、バーでビールを頼み、ゆっくりと飲み干した後、集合場所へ戻りました。

街が迷路状だったにもかかわらず、皆時間にはきっちり集合していました。流石、君子の集団です。ならず者ですが知力は高いのです。

この後、セッティングされた豪華宴会を終え、(巨大銀行に連れていかれたのでびっくりしましたが、銀行の2階がレストランでした。複合ビルだったんですね。)ショッピングセンターで買い物をして、(なぜか私だけ最後に親分とかいう人のところに連れていかれ、原価でいいよ等と説得されました。多分金持ちに見えたのでしょう。慧眼という他はありません。そしてガイドさんに教えられたとおり断固としてNoといい、出てきました。大人です。)空港を潜り抜け(くぐりぬけ)、無事帰ってきたというわけです。

全体を通して、まあ、比較的平穏なツアーだったと言えるでしょう。(どこがじゃっ)
謝謝。